『輪るピングドラム』#24
最終回まで視聴し終わりました。
最終回で今更気付く、『銀河鉄道の夜』モチーフ。
陽鞠の命が尽き果て、桃果の日記帳も失われ、冠葉は破壊への道を進む。
冠葉をとめるために命つきた陽鞠がペンギン帽(桃果)の力を借りて現れ、自分達の運命を悟った晶馬は昔冠葉から分け与えられた命を冠葉に返す。
ピングドラムとは、運命の果実であるりんご=命、だった。
途中から電車に乗り込んできた苹果は、呪いの炎に焼かれることを覚悟の上で、運命を乗り換える呪文を使う。
呪文は『運命の果実を一緒に食べよう』
乗り換えが始まり、苹果は炎に焼かれるが、晶馬が「これは僕達の罪だから…愛してる」と言い、呪いの炎を引き受ける。
一方、晶馬から命を返された冠葉も自身と引き換えに、陽鞠を乗り換え電車に乗せる。
乗り換えた運命の先、陽鞠は死の病気を持たず叔父と叔母の元で平穏に暮らすが、二人の兄の記憶はない。
一緒に、運命の乗り換えをした苹果にも晶馬・冠葉の記憶はなかった。
陽鞠は部屋の隅にあるぬいぐるみから、一枚の紙を見つける。
「だいすきだよ! おにいちゃんより」
心当たりのない手紙に困惑しつつも、陽鞠の目からは涙があふれるのだった。
そして、高倉家の前を通り過ぎる赤い髪と青い髪の小さな少年達は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の話をする。
「りんごは愛による死を選んだものに与えられるご褒美でもあるんだよ」と。
運命の乗り換えが始まった時、駅の表示が「命⇔蠍の炎」と表示されました。
『銀河鉄道の夜』で蠍の火と言えば、皆の幸福のために自らの体を燃やし続けることを願った蠍の火。
そして、ジョバンニはカンパネルラに「どこまでも一緒に行こう。みんなの幸福のためならば、僕の体なんて蠍のように百度焼いてもかまわない」と告げる。
これは、ラストシーンで青い髪の少年と赤い髪の少年の「ねえ、僕たちどこへ行く?」「どこへ行きたい?」「そうだなあ」「じゃあ…」にかぶせてあるんですね。
りんごが愛による死を選んだものに与えられるご褒美ならば、愛による死を選んだ冠葉と晶馬へのご褒美として陽鞠と苹果が運命の乗り換えを果たせたということか。
ピングドラムは誰かの幸福を願い、自己を犠牲にして分け与える精神ということなんだろうな。
乗り換え後の世界でのゆりと田蕗の会話。
「わかったんだ、どうして僕達がこの世界に残されたのか」
「教えて」
「僕達は愛されない、予め失われた子供だった。
だけど、たった一度でも誰かから愛された記憶があればそれでよかったんだ。
僕達はそれをするためにこの世界に残されたんだよ」
ゆりと田蕗の運命を変え二人に愛を与えた桃果は、誰かを愛してもらうために記憶を残したまま二人を世界に残したんじゃないかな。
一度でも愛された子供が誰かを愛することで、その誰かもまた別の誰かを愛せるように。
愛の循環こそ”輪るピングドラム”なんだと思います。